ついていけない

お陰様で、子どもの頃から授業についていけないことはありませんでした。わかった喜びやできた楽しさを数知れず体験して今に至りました。
古事記聴講も、時々居眠りをする困った聴講生ですが、その時間の中で、共感あり幾つかの気付きや発見があって面白くて10年近く続いています。
ところが先週と今週、講義についていけない自分に愕然としています。講師が何を伝えたいのか掴めないのです。もともと談論風発、縦横無尽の語り口の講義なのですが。
思い余って恥ずかさに耐えつつ級友に聞きました。
「みなさん、先生のお話、お分かりなのでしょうか、私、今日の講義の本筋が分からなかったのです」級友は即座にいいました。「みんな、全部分かっている訳じゃないですよ。先ずは90分、この場にいること。一つか二つ引っかかることがあれば分かった感じになる。論理的に一貫して理解しようとするから、大変なんですよ。学校じゃないんだから、マア、聞きっぱなし」
私の頭が柔軟性に欠けているのでしょう。せめて講師が「今日は○○について話します」と言ってから講義を初めてくれたら、私でもついて行けるのにと詮無きことを思いました。
五月中が、講師体調不良で全休講だったので、聴き方のペースが掴めていないのだろう、ボケた訳じゃないと自らを慰めました。

今年もランタナがとりどりの色で咲き始めました。




やよいの日々

日々の日常を綴ります。

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