終戦記念日

今日は79回目の「終戦記念日」です。
あの日も雲一つない晴天でしたが、時折頬を撫でる風が涼やかだったことを覚えています。
所沢、立川、入間の航空基地の真ん中あたりに住んでいたので、米軍が進駐して来ると女子供は陵辱されるので、秩父の山中に逃がさねばの噂がまことしやかに流れました。
しかし、現実は全く違っていて、日本郵船の事務長だった叔父は特技の英語をかわれて終戦直後からGHQ勤務。自動車屋の父の元には、米軍の将校家族の自家用車の修理がひっきり無しに持ち込まれ、瞬く間に周囲にアメリカ文化が溢れました。戦後混乱期とあって、支払いは現物支給だったようです。MJBの珈琲、ハーシーのチョコレート、ドラム缶入りのコーンビーフetc etc 。だから、終戦直後の食料難の話になると俯いてしまいます。飢えなかった自分にコンプレクスがあるからです。
父は自分の技術を通して「米人と対等。卑屈にならないこと」を繰り返し教えてくれました。
叔父譲りのキングスイングリッシュで姿勢良く米軍将校とやりとりする父は子供心に格好良かった。
そのくせ、8月15日の呼び方は「敗戦の日」で柊生「終戦」とは言いませんでした。「敗けは敗けだ」と言うのです。
卑屈にならないこと。合理的であることは、父が残してくれた財産だと思っています。


やよいの日々

日々の日常を綴ります。

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