評判の映画「国宝」を観ました。主演が吉沢亮。横浜流星。大河ドラマの主役を演じる若手演技派。美しい役者さんが歌舞伎の女形を演じるとあっては見逃せません。前衛舞踏家の田中岷の歌舞伎舞踊にも興味津々。あらすじはわかりやすく、ヤクザの抗争で目の前で父を殺された少年が、その才能を見いだした上方歌舞伎の名門にひきとられ、同い年の名門の息子と愛憎半ば、血筋と才能の葛藤の中で互いに切磋琢磨して人間国宝に上り詰めるというものでした。

三時間に及ぶ長編の大半が歌舞伎の舞台というのも大変嬉しいことで、久し振りに歌舞伎を堪能しました。演目もポピュラーでわかりやすく歌舞伎初心者のガイドブックのようです。

連獅子、藤娘、道成寺、曾根崎心中、中でも鷺娘は田中岷の鬼気迫る踊りとフィナーレを飾る吉沢亮 の美しい名演が二つながら素晴らしかったです。

それにしても、役者さんて凄い能力の持ち主だと思います。館内は満席。しわぶきひとつ聞こえない静寂の三時間でした。

映画館を出ると広々としたテラス。猛暑の青空と遠く広がる狭山丘陵に我を取り戻しました。


話題の本を買いました。有吉佐和子です。今、何故有吉佐和子なのか不思議でした。どうやら、テレビで話題になったようです。本屋には特設コーナーが設けてあって山積みになっていました。偏屈なので、話題の本というのを買ったことがないのですが、友人が買ったとLINEをくれたので、会ったときの話題にと買いました。

無名の陶芸家が焼いた青磁の壷を巡る十三話。それぞれ一話づつ完結しているので読みやすいうえ定年後の夫婦、相続争い、老人介護など、今の時代でもそのままの人間模様が、青い壺を軸に描かれています。兎に角面白い。随所に共感する場面があって、350ページを二日で読み終わり、久し振りに読書の楽しみを堪能しました。初版は昭和55年というのに、全く新鮮。流石「恍惚の人」で今の認知症を、「複合汚染」で社会問題を予見した有吉佐和子です。是非是非お読みください。



旧友たちの集まりから姿を消して三年になる人がいます。勿論健在なのですが、ある時期から誰も誘わなく なったのです。原因は彼女の「断りかた」。誘われると間髪を容れず「大事なことがありますので」という断りの返事が返って来ます。「残念だけれど」とか「次にはよろしく」はありません。大事なこととは彼女が今夢中で取り組んでいる趣味のようです。元々生真面目で一途な人なので、何かに集中すると回りが見えなくなるきらいは昔からありました。たまに会う気楽な旧友達との集まりよりも、目下の課題を優先させているのでしょう。木で鼻をくくったような断りかたが数回続くと、誰言うとなく「彼女は私たちと会うよりもっと大事なことがあるのよ。誘われるのが迷惑そうだもの」となって、声をかける人がいなくなりました。私も何だか自分達が軽んじられたようで忸怩たる気分でした。惜しいと思います。この年になると中々友達はできにくい。せめて「また誘ってね」というゆとりのある断りかたができるようにしたいと思いました。

散歩道の梔子が、良い香りです。



朝から薄日がさして、梅雨の晴れ間です。洗濯機を回して、たまった洗濯物を洗いました。部屋干しや乾燥機を使うこともできるのに、お日様に当てて乾かしたい旧態依然の暮らしかたが身に付いています。洗濯物を干してから何時もの散歩。散歩道の天神社の階段に熟れた梅の実が落ちていました。現在の湿度は98%。洗濯物がカラリと乾くのは厳しいかも。

水無月が和菓子屋さんの店頭に並びだしました。水無月は六月の和風月名で、このお菓子は六月だけに売られます。由来は古く平安の昔から。六月三十日に「名越の祓い」という宮中行事があって、元旦から半年間たまった穢れを祓い、夏に向かって無病息災を願う際、氷を食したのが始まりといわれています。氷は非常に高価なものだったので、庶民には手が届かないので、その代わりにつくられたのが「水無月」だそうです。氷を模して三角形にした白い「ういろう」に邪気を払うといわれる小豆を載せた涼やかなお菓子。冷やして食べると美味しいので大好きです。










陶芸に行ったら、先月の作品が出来上がっていました。

新しい方法で、絵付けした子ども達です。何時もは自前の絵の具でやっていた絵付けを、教室にある ものに変えてみました。何だかすっきりした仕上がりなのが気に入ったので、こ手法でもう一体創作してみようと意欲が湧きました。幾つになっても新しいことに巡り会うと意欲が湧くものだと気がつきました。私の陶芸に新しいページを開いてくれた二人の子どもです。



電車に乗って一駅、PARCOの中のカルチャーセンターにある書道教室に通い始めて一月が経ちました。仮名文字を習っています。今は,連綿体という筆法に挑戦中で、かなりの苦戦です。何事も力を入れるより、程よく抜く方が良いといわれますが、この抜き加減が難しい。

教室に通い始めた最初の日にランチに誘ってくれたメンバーが声をかけてくれて、カレー屋さんに行きました。焼きたての大きなナンにびっり。本格的なチキンカレーも美味しかったです。一人では入らないだろうお店。新しい経験が広がるのは楽しいものですね。

友だちとランチの帰り木村家のあんぱんを買いました。大好きな桜とケシ。昔から小振りでしたが何だかまた少し小さくなったみたい。でも、この小ささが良いんです。酒種で発酵させたパンは肌理が細やかで柔らかくこし餡の品の良い甘さ。あんぱんのお臍の部分に塩漬の八重桜。一口ほほばれば、何時も変わらぬ信頼の味。美味しかったです。

桜あんぱんは明治天皇も召し上がったという歴史があります。明治8年4月4日、水戸行幸の際、初代銀座木村屋の当主が献上したそうです。

地元で65年の営業を続けたスーパーが閉店しました。この地に住んで以来63年のお付き合いです。野菜と肉と鮮魚が良く、野菜は新鮮、肉は種類が豊富でお財布に合わせて高級なものからリーズナブルなものまで選べたし、魚は料理によって厨房でさばいてくれたり料理の仕方を教えてくれました。最近は大谷選手愛飲の岩泉ヨーグルトが買えるのも嬉しかった店です。

数十メートル離れたところに、軒を並べるように大型スーパーが開業するので惜しまれつつの閉店だそうです。閉店にあわせて徐々に少なくなる棚の商品を淋しく眺めながら買い物をしていましたが、閉店の前日、最後の買い物をしました。果物コーナー、野菜売り場、精肉、鮮魚と回り、特に急いで必要でない品も儀式のように籠にいれました。鮮魚売り場にはもう魚がなかったので「たらこ」を買い、レジで精算すると店員さんが「長い間ありがとうございました」と丁寧に挨拶してくれました。出口のところで店長さんに会ったので「63年お世話になりました。ありがとうございました。お元気でね」と言ったら店長さんの目に涙が溢れたのでびっくり。

最後の日3時過ぎ、シャッターが閉じられ、店先は綺麗に掃除され、経営者の胸像と感謝の言葉が飾られていました。店内の照明がおとされて人影はありません。

見事な撤退、天晴れな幕引きです。改めて良い店だったなあと感慨ひとしおでした。63年間ありがとう。お世話になりました。


早稲田大学のカルチャー「江戸の絵本を読む」は、本題は勿論のこと、枝葉の所に様々な発見があって面白い。今日は、戯作の第一人者恋川春町が、現実には無い漢字を作って諧謔と機知を発揮する話。例えば金偏に無のつくりで金が無いから「息子」。金偏に番のつくりで金庫番をするのが「親父」。中でもハッとしたのは金偏に婆のつくりで「ほまち」でした。今では全く聞かないこの言葉を子供の頃耳にした記憶が甦ったのです。父が母に冗談めかして言う言葉「これは、お前さんのホマチだねえ」言われた母がまんざらでもなさそうに笑っていたシーン。

ほまちとは、お駄賃が転じて「へそくり」のことで、積み荷を運ぶ船乗りが、契約以外の積み荷を内緒で運んで駄賃を得ることで「帆待ち」から転じた言葉だそうです。江戸で使われていた言葉が昭和二十年頃の我が家で普通に使われていたのが面白かったです。

講義の後のランチは、久し振りに「お魚道場、いろ川」の海鮮丼。江戸の味はとても美味しかった です。







花のもちがすこぶる悪いので憂鬱です。思いきってアンスリュームにしました。南アメリカや

アフリカが原産なので、急な猛暑にも耐えてくれるのではとの期待です。

花期は丁度今頃。赤い部分は花ではなく芯のように見えるところが花。緑の葉ものの鳴子闌をあわせました。

昨日の巨人戦。ジャイアンツ連勝。戸郷待望の2勝。岸田のプロ初満塁ホームランと久し振りにスカッとしました。



私の長年の行きつけの美容室は、美容師さんが一人、自宅で営んでいます。予約制でその時間帯に他のお客さんと相席することがないので、気兼ねなく過ごせるのが嬉しいです。

美容院の好みは人それぞれで、カリスマ美容師(何故か男性美容師が多い)や有名店やお洒落な街の美容院まで出掛ける人も多いようですが、私は昔から美容師さんは女性で、自分の年齢と余りj離れていない人で、小振りな店と決めています。理由は簡単。安心して素の自分をさらけ出せる秘密基地であってほしいのです。延びかけた白髪も、顔の皺もシミも丸投げして綺麗にしてもらえることが私の選択基準。言うなれば「使用前、使用後」みたいな感じ。綺麗にしてもらう過程など出来るだけ人様には見られたく無いのです。多分、私の中に外面気にするいいかっこしいのところがあるせいでしょう。

小さな美容室で、美容師さんと気兼ねないお喋りをしながら髪の手入れをしてもらうのは、何よりの休息時間です。