親ガチャ
昨日の夕刊で「親ガチャ」という若者言葉を知りました。「ガチャ」とはオンラインで、アイテムを入手するゲームのことだとか。私は、こどもたちが店頭の器械に小銭を投入してプラスチックのカプセルに入った玩具をゲットする遊びのことだと思っていましたがほぼ同じ事で、要は、自分の力ではどうにもならないことの喩えのようです。
子どもは親を選べない上、学業の成績や将来の人生設計まで、親の世帯収入に左右されるという格差社会の中で、将来に希望が持てない若者たちから生まれた「諦観の言葉」だそうです。私たちの時代でも「親みれば俺の将来知れたもの」という川柳がありましたが、そこには現実を笑い飛ばすエネルギーがありました。いつの時代でも子どもの幸せや安寧を願わない親はありません。「親ガチャ」という言葉の切なさは親子共通の、そして社会全体の切なさだと思います。今日も秋晴れなのに、気持ちは沈みがちで、とぼとぼ歩きました。
散歩道にコスモスが揺れています。
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